院長プロフィール

incho_photo院長 立石陽司(たていしようじ)
名古屋身体均整院・院長、師範位均整師
文部科学省認定 医療分野専門士
平成5年 姿勢保健均整専門学校卒業
所属学会:日本氣心均整師会

経歴

  • 幼年の頃から自己の病弱と精神的苦痛に悩まされたが17歳の時に「気功法」に出会い
    心身共に健康になり人生が一変する。その後、身体均整法に出会い治療家の道に入る。
  • 姿勢保健均整専門学校(現・東都リハビリテーション学院)入学と同時に均整気功法の第一人者・世古口裕司師の一番弟子として東京・目黒身体均整院にて修行 卒業後、文部科学省より医療分野専門士の認定
  • 平成5年4月名古屋市中区新栄にて「名古屋身体均整院」開業
  • 平成11年名古屋市名東区に「名古屋身体均整院・一社院」開業
  • 平成16年4月 第一子誕生に伴い一宮市に移転、「名古屋身体均整院・一宮本院」として現在に至る。
  • 身体均整法、野口整体、乩乱法などを融合させた独自の「氣心均整術」を作り上げる。
  • 治療家養成機関「均整塾」の卒業生は、のべ50名。当院の門下生が名古屋市近郊で
    7店舗の「身体均整院」の開業をしている。
  • 「体の痛みが即効でとれる」(史輝出版)名古屋身体均整院 院長  氣心均整塾 主宰 師範位均整師
  • 主な著書に「体の痛みが即効でとれる」(史輝出版)
    「こころとからだを自由にする氣心均整術」(レイセイ出版・電子書籍)がある。

保有資格

師範位均整師は、長年の臨床経験と豊富な知識を習得した者のみに与えられる日本氣心均整師会認定の称号です。

私が治療家になった理由

私が治療家になったきっかけをお話したいと思います。私は、生まれたときからとても病弱でした。幼稚園の健康診断で「あなたは、栄養失調だね」とお医者さんにいわれ子供ながらにショックを受けた覚えがあります。

まだ子供なので「栄養失調」という言葉自体の意味がわかりませんでしたが、子供ながらに「ただ事ではない!」と感じていました。

そんな幼稚園時代をすごし、小学校に入学しましたが、もちろんとても「小粒」。
身長が97cmしかなかったそうです。記録に書いてありました。
小・中学校でも朝礼に出るとすぐに貧血で倒れてしまう。
そんな「もやし」のような体をしていました。中学校に入学のときの身長は、127cmです。

思春期に入り、悶々とした時を過ごします。

父親の急死

そして中学3年の時にとてもショッキングなことがおきます。
父親の「急死」でした。
父親は、私とは違い「色黒のスポーツマン」でした。高校時代は、陸上のインターハイに出場し空手四段の武道家でした。
「あんな元気な父が若くして亡くなるなら、俺も若死にするに決まっている!」そう思いました。

呼吸法(気功)との出会い

そんな、なんとも煮え切らない毎日を送っていたとき「呼吸法で心身ともに元気になる」という一冊の本に出会いました。
まさに私にとっては、「救世主」のような本だったのです。
それから、私に人生が一変します。
それまで、自分で何かをやり抜くということができなかった自分がこの「深息法」という呼吸法がきっかけで、心身ともに元気になり、治療家になる道を歩むことになります。
「深息法」というのは、霊術からきている特殊な呼吸法です。大きく分けて2つの技法から成り立っています。

①邪気呼出法(みぞおち体操)

私がいつも患者さんに、「みぞおち体操」として教えている呼吸法です。

②正気吸入法

これは、先の邪気呼出法で悪い「邪気」を排出させたあとに今度は、よい気を体に入れ込む呼吸法です。とても簡単な呼吸法なので、誰でも短時間で出来るのがいいと思います。

そのような「呼吸法」との突然な出会いがあり、今まで悶々と暮らしてきた自分の人生が、変化してきました。
それまでいつも「マイナス思考」だった自分が、呼吸を整えたおかげですべてを「プラス転換」できるようになったのです。どんなことにも「確信」を持てるようになりました。

治療家を目指して上京

その後、治療家を目指すため24歳で上京します。

24歳で上京し「姿勢保健均整専門学校(現東都リハビリテーション学院)」に入学します。それと同時に均整気功術の第一人者・世古口裕司師に師事、目黒身体均整院にて修行をしました。

修行時代の日課はこんな感じでした。

朝4時半:起床 朝のビル掃除のバイト 2時間
8時~12時: 治療院にて臨床修行
14時~17時: 学校
17時半~20時 治療院にて臨床修行
21時~深夜  アルバイト

こんな日課です。
今思えば平均睡眠時間 3~4時間でよくやったなぁと思いますが、この経験が私の治療家としての礎となりました。
目標を持つこと (俺は、治療家になって世のため人のためになるんだ!)
そして、それを確信すること。(絶対にできる!できないわけがない!)
人は究極の状態になると、凄まじい奇跡としか言えない力が出てきます。

26歳の時に名古屋新栄に開業

26歳の若さで八畳一間の雑居ビルに小さな治療院を開きました。

開業当時はバブルの影響がまだあり、「治療院はチラシをまけば新患20名はくる」というような時代でした。
一日平均3名患者さんがくるには5年かかるというこの世界で、私の治療院は開業1年で一日平均10名という怒涛の勢いでした。そして、開業1年で同じ新栄の大きな店舗に移転しました。

それからの10年間は患者さんに恵まれ弟子も増え一日平均20名というその当時では、繁盛店に入る治療院に成長していきました。

突然のどん底感

しかし順風満帆に来ていた開業10年目に「あること」きっかけで私の精神に異変が起きます。

仕事ができない。やる気がでない。患者さんと話ができない。

所謂、鬱状態でした。もちろん精神科へ受診などは行いませんでしたが、幼年期の「うつ状態」の再来でした。

一宮に移転

すべてのことに自信がなくなってしまった私は、患者さんにベストの治療ができなくなり治療時間を減らすことにしました。
今まで朝から晩まで治療をしていた日課が少し時間が取れるようになり「自分を見つめる時間」が出来てきました。そして、今のままではいけない。もっと自分自身をスキルアップできる。
もっと成長するために。患者の為に何かできないか?その結果、地元の一宮に移転することを決めました。

ゆっくりと子育てをしながらの治療院

一宮に移転当時は、生後11か月の長男がいました。名古屋では朝から晩まで仕事でしたが、一宮ではゆっくりと子育て(整体的な)をしてみたいというのが私の理想でした。

しかし、そうは問屋が卸しません。子育てほど大変なものはありませんでした。

第二子(長女)の誕生もあり、年子の子供を育てなければいけません。これは想像以上に大変でした。治療に集注したくても、二人の子供が泣きじゃくる。3歳位までは保育園に入れず、自分たちで育てたいという信念があったのでそれは大変な毎日でした。

しかし、そのような生活を続けているうちに「精神状態」も上向きになってきました。

一宮での患者さんは名古屋に比べれば半分以上少なくなりました。でも今しかできない子育てと治療のスキルアップの為の勉強は、私にとって本当にいい経験になりました。

朝の修行

一宮に移転後の約5年間、私は、治療と別に早朝のバイトをしていました。治療とは、全く畑違いのスーパーの陳列のバイトです。その様なことを始めた理由として一番はやはり「お金」の問題でした。しかし、その反面

  1. 全くちがう仕事を通じ、また人に雇われることにより相手の気持ちを考える機会を作り、自己研鑽したい。
  2. 健康の為に早起きする。
  3. 「いまここ」を感じたい。

という思いでした。

この三つは、治療の向上に於いて、又すべての人間関係を円滑にするためにも重要と考えています。早寝早起きが健康の為にとても良いとわかってはいても、なかなか出来ません。

早朝バイトという名目があれば、否が応でも早起きをしなければいけないので、自分を追い込む気持ちで始めました。

なんとかなるだろうと気楽な気持ちで始めましたが、これが結構きつい仕事でした。最初は、「こんなの出来ない! もうやめよう!」と毎日思っていました。
ところが、この早朝修行のおかげで、沢山の気づきをいただきました。

まず、初日に部署のリーダーに「機転を利かせてやれ!」とお叱りを頂きました。自分自身、いろんな経験をしてきたので、余程のこと以外、怒りはでないという自信があったのですが、それはみごとに打ち破られ、「なんだ!こいつ!」という「怒り」がマックスにこみ上げてきたのです。まさに、瞬間湯沸し器です。

若くして開業をし、人に雇われたことも長年なく、年上の方々にも「先生、先生」といわれ、いつのまにか「傲慢」の気持ちが根についていたのでした。

商品の陳列といっても、決して楽ではなく、夏の時期の飲料の多いこと! 朝から大汗をかき肉体労働でした。でも、ここで大きな気づきがありました。時給1000 円なのですが、その1000 円を稼ぐ尊さとありがたさ、ましてや患者さんは、その5倍の5000 円を治療費として支払ってくださっている。こんなありがたいことはない! と心底思いました。

物事は、すべて捉え方だと思います。「今ここを感じる」練習として、商品陳列バイトは最適でした。朝から嫌々仕事をするのか? 捉え方を少し変えておもしろくするのか? 日常生活、仕事、どんなことでも適応できます。

私は、商品の陳列をしながら「瞑想」をしていました。「瞑想」と言っても瞑目をするのではなく、気功でいう動功です。体を動かしながら、「今ここを感じる」のです。でも、出来るようになるまで3ヶ月かかりました。なぜなら、怒りを消さなければ、精神を集中できないからです。最初の1ヶ月は、どうして朝からこんなことをしているのだ。格好つけて始めたものの、やっぱり駄目だ。やめたい、やめたい・・・。

こんなマイナスの気持ちでは、精神を集中できるはずがありません。

しかし、物事をプラスに転換する術を私は、この早朝陳列バイトで学んだのです。

まずは、仕事を楽しくすること。負けず嫌いの私は、誰よりも早く職場につくようにすることや2時間という短時間でどれだけ人より早く陳列ができるかということを考えました。それには、いろんな工夫をしなければなりません。そのためのアイディアを出すために、治療の合間に仕事場にいって店の様子を観たり、他の店舗に行って効率のよい陳列方法は無いかと見に行ったり、いろんなことをしてみました。

どんなことでもいろんな角度から見ていくと面白いですし、いい案が浮かんできます。

そのうち、あんなに嫌だった陳列作業がおもしろくなってきたのです。今日はこれだけの時間でできた! ある意味自己満足ですが、私の朝の楽しみに変わっていったのです。

気持ちよく仕事をしていると、店に降り注ぐ「朝日」がとても神々しく感じます。今、生かされていることの喜びを心から感じることができます。

早起きは三文の得。まさにそのとおりです。

成功へのプログラム

「成功へのプログラム」私がこの言葉に出会ったのは、18歳の時でした。
その当時、何もかもがうまくいかず(自分でそう思っていただけですが・・)
これからの人生何を目的に生きていけばいいのかと自分との葛藤の毎日でした。

そんなある日、当時の私の親友(その後、私の整体法の師匠となる世古口裕司先生)からある本をいただきました。その中には、人生に於いてどんなことが起こっても意味のないことはない。そして、それをステップにすれば、すべてプラスになっていく。というような「ポジティブ思考」なことが沢山書かれていた事を鮮明に覚えています。

そして、その本の最後には「成功へのプログラム」としてこう書かれていました。

「成功」は自分で築いていくもの。他人がやるものではない。ですから、自分なりのものを作っていってください。成功のプログラムとして・・・。

「成功へのプログラム」は家庭面、健康面、仕事面について分かれていました。

しかし、そこはすべて白紙。自分で書き込むようになっていたのです。
私としては、なにか具体的に書いてあるのかなと期待をしていたのですが、兎に角、書いてみる事にしたのです。

自分なりに夢を書きました。それが無理なこと、不可能なことと思われても構わない。
でも書く事によって、それが現実になっていくような、わずかですが私の心に小さな光が見えてきたのです。

そして、その数年後、当時の仕事面としてプログラムした「整体術を学ぶ」という夢が現実になり世古口先生を慕って上京し弟子入りしました。

二年後、名古屋で開業をする前に成功のプログラムとして、以下の目標を立てました。
「治療院で成功し、会社を作り人々のお役に立てる仕事をしながら
自他と共に人格・霊性を高めるべく修行を生涯続けていく。そして治療家の養成をする。」

開業から26年。治療院も紆余曲折はありましたが、会社も設立でき、治療家の養成も出来てきました。私の思いと賛同してくれる同志も出来ました。

あとは「こころある治療家の養成」という成功のプログラムを達成すること
もちろんそれは、単なる通過にすぎず、死ぬまで続きます。

あの世に出発するとき「自分の人生に悔いなし」と思えるように。それが私の今世での最高の「成功のプログラム」です。

そんな思いを胸に今は、自分の経験と知識を元に「病気や人生の諸問題」に悩む患者さんの為に日夜精進しています。

立石陽司

スタッフ紹介

立石恵美 (たていしえみ)

立石恵美 (たていしえみ)昭和49年生まれ
趣味: 旅行、買い物、食べる事
治療院では、主に患者さまの受付業務を担当しています。
小さなお子さまをお持ちの方も遠慮なくお越しくださいね。
只今、2人の子育て真っ最中!
子育てでお悩みの方一緒に語り合いましょう。

立石健人&そら(たていしけんと&そら)

立石健人&そら(たていしけんと&そら) 何をしでかすか全く予想不可能。とにかく元気。
我が家の元気のもと。